ももちゃん、20年そばにいてくれてありがとう。

2025年3月3日 桃の節句
ももちゃんが虹の橋に向けて旅立ちました。享年20歳です。

大好きだったももちゃん。僕のことも大好きでいてくれたももちゃん
20年間そばにいてくれてありがとう。

猫の20歳は人間の年齢に換算すると96~100歳と言われます。飼い猫の平均寿命が15歳くらいなので、ももちゃんはとても長生きな猫でした。
2年ほど前から足が弱くなり、キャットタワーなどの高い場所には上がらなくなっていました。最近はひどい便秘で、うんちを出すのに手助けが必要になっていたけれど、それでもよく食べて元気だったし、まだまだ長く生きられそうだと思っていました。

でも、衰えるときは一機なんですね。先月の中ごろから急に老化の症状が加速し始めました。おしっこの失敗やおねしょをするようになり、椅子の上に上がれなくなったり、テーブルから落ちたりと、どんどん弱っていき、2月末にはとうとう寝たきりになってしまいました。

喉が渇くと、頑張って立ち上がろうとするんです。支えてあげて水飲み場まで連れて行ったり、スポイトで飲ませてあげたり。そのタイミングで栄養のあるチュールを舐めさせてあげて。猫もずっと同じ体勢で寝ていると床ずれするそうなので、向きを変えてあげたり、関節が固まらないように軽く動かしてあげたり。祈るような気持ちで、ずっとそばで見守っていました。

苦しそうなそぶりはなかったけれど、猫は弱った姿を見せないと言うし、本当は苦しさを我慢していたのかもしれません。そんなことを思いながらも、飼い主のわがままなんでしょうね。こんな介護状態になっていても、「できる限り頑張ってほしい」と思っていました。

でも…
3月3日の午前8時半でした。

息が苦しかったのか、一瞬だけ何度か激しく呼吸をして、足をばたつかせたかと思ったら、すぐに静かになり、そのままもう動くことはありませんでした。

8年前、ももちゃんの一つ年下のしんちゃんが虹の橋のたもとに向けて旅立ったときは、病気による突然のことだったので、心の準備ができておらず、気も動転してひどいペットロスになりました。
ももちゃんは高齢だったし、いつ何があっても仕方ないと覚悟していたつもりでしたが… いざその時が来ると、人の心は弱いものですね。

頑張って、すぐにしてあげないといけないことをしました。目を閉じてあげたり、身体を清めてドライヤーで毛並みを整えてあげたり、硬直が始まる前に手足を丸めてあげたり。幸い、家には僕しかいなかったので、大声で泣きながらでしたけどね。

少し落ち着いてから、汚れてしまったももちゃんのお気に入りのタオルや毛布を洗濯し、家の中を掃除して、お花と線香を買ってきて、棺代わりの箱に毛布やタオルを敷いて寝かせてあげました。娘と次男に連絡をし、病院と動物霊園にも電話をして。

何かをしていないと、涙があふれてくるんですもん。

20年、ずっと一緒でしたからねぇ。
しかも僕は通勤のない仕事ばかりだったから24時間ももちゃんと一緒でした。
でも、いつもいるはずの場所にもうももちゃんはいません。

例えば、僕がキッチンで料理や洗い物をしているとき、ももちゃんはずっとテーブルの上で箱座りをして僕の様子を見ていました。のれんの隙間から僕が覗いているのに気づくと、立ち上がって嬉しそうに鳴くんです。「私にも何かちょうだい」と言う、食いしん坊のももちゃんのアピールなんですけどね。

でも、のれんから覗いても、もうももちゃんはいません。

そんな瞬間が、生活のあちこちにあって…
夜寝るときには、「ももちゃん、あーちゃん、お父さんは寝るよ」と声をかけて電気を消すと、しばらくして僕のお腹の上に乗ってくるのが日課だったのに、もう乗ってこないんです。

そんな瞬間に、涙があふれてくるんですよね。

そんなとき、しんちゃんのときに読んだペットロスの本を思い出しました。
最初は思い切り泣いてもいい。むしろ、そのほうが気持ちの切り替えができる。
虹の橋の話を読むと、大泣きになっちゃうんですよね。

でも、虹の橋の第三部にはこう書かれています。
「いつまでも僕が悲しんでいると、ももちゃんは虹の橋のたもとの『雨降り地区』で、冷たい雨に濡れながら、僕と同じ悲しみを感じて過ごすことになる」

だから、しんちゃんのときもそうだったように、今はももちゃんのために、早く立ち直らないといけないと思っています。

だいぶ心も落ち着いてきたので、自分の気持ちを整理する為ブログを書いています。
ももちゃんとの思い出を、写真を見ながら書いていこうと思いますが。

でも、まだ完全に立ち直るのは、もうちょっと待っててね、ももちゃん。

ももちゃんとの出会い

ももちゃんは、当時14歳の中学生だった娘が家に連れてきた保護猫です。たぶん野良出身で、母猫とはぐれてしまったのでしょう。カラスに襲われそうになっていたところを、娘のクラスメイトが保護したのだそうです。そして、猫を飼っている娘に助けを求めてきました。

そのとき娘が考えたのは、「飼ってあげたいけれど、家には先住猫のレオン君がいるし、お父さんに事務所で飼ってもらえるか頼んでみよう」ということでした。

今では自他ともに認める猫好きな僕ですが、当時は猫が好きという意識もなく、正直戸惑いました。レオン君も娘が保護した茶トラの男の子で(レオン君の紹介)、僕も可愛がってはいましたが、世話をするのは娘でした。僕に猫が飼えるのか、不安でもありました。

だって、見せてもらったももちゃんは、まだ目も開いていないであろう生まれたての子猫だったんです。でも、その子猫がものすごく可愛かったし、何より可愛い娘のお願いでもあったので、引き受けることにしました。

それが、ももちゃんとの出会いでした。

ネットで子猫の育て方を調べ、哺乳瓶と粉ミルクを買ってきて、見よう見まねでミルクを与え、おしりを刺激しておしっこを出してあげる。そんな、ももちゃんの飼育生活が始まりました。

写真もたくさん撮ったし、ブログに日記も書いていたのですが、残念なことに当時使っていたビッグローブのブログサービスが終了し、バックアップを取り損ねたため、ももちゃんが6歳以前の写真がなくなってしまいました。子猫のころの写真がめっつちゃ可愛かったのに。

一番古い写真は、6歳のとき(2011年)のもの(下記)
7歳以降の写真はたくさん残っています。もちろんそれらもかわいいですけどね。

ももちゃんは目が大きくて、とても美しい猫でした

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ももちゃんとの絆

きっと、目が見えるようになって初めて見たのは僕の顔だったのでしょう。だから、ももちゃんは僕のことを親だと思っていたはずです。とにかく僕にべったりで、そんなももちゃんを僕も大好きになりました。僕を猫バカにしてくれたのが、ももちゃんだったんですね。

人に抱っこされるのはあまり好きではなかったけれど、自分から抱っこしてもらうのは大好きでした。冬の寒い日は、僕の服の中に入りたがるんですよね。そして、一度入るとなかなか出てくれなくて、肩がめちゃくちゃ凝っていました。

住まいは仕事場でもあったので、僕はパソコンの前にいることが多かったのですが、なのでパソコンデスクはももちゃんの縄張りでした。デスクの上に寝ていたり、僕の肩に乗っていたり、キーボードを叩いている僕の腕に乗ってきたり。いつも一緒だったんです。

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ももちゃんと猫たちの日々

そんな生活をしていたら、猫好きになっちゃいますよね。

ということで、ももちゃんを飼い始めた翌年には、僕自身がしんちゃんを保護し(しんちゃんの紹介)、同じマンションの自宅で飼っていたレオン君も僕の事務所に呼び寄せて、3匹の猫を同じ部屋で飼うことになりました。そのころ、「猫のいる仕事場」というブログを書いていましたが、この3匹との生活は、しんちゃんが亡くなった2017年までの11年間続きました。(2015年からはあずきが加わり、4匹になりましたが)。

この11年はにぎやかで笑いが絶えない、僕の人生でとても楽しい期間でした。

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猫たちとの別れ

そんな至福の時が、いつまでも続けばよかったのですが……。猫たちの寿命は、人間よりずっと短いものです。

2017年には、しんちゃんが11歳で。
2018年には、レオン君が17歳で。
そして、今、ももちゃんが20歳で。
虹の橋へと旅立っていきました。

みんなお骨になっちゃった

この記事の冒頭にも「ももちゃんが虹の橋に向けて旅立ちました。」と書きましたが、実際に旅立つのは四十九日の後だといわれます。四十九日の間は、ペットの魂が虹の橋へ向かう準備をする期間であり、飼い主が供養をする大切な時なのだそうです。

3月6日に火葬をして、お骨になったももちゃん。今は花を添え、お線香をたいて手を合わせています。「まだその辺にいるんでしょ? 姿を見せてよ。」そんなふうに、つぶやきながら。

ちなみに、動物霊園の方が、「ももちゃんの骨はとても強くて、手足の指やしっぽの先端まで崩れずにきれいに残っていました。高齢の猫にしては珍しいですよ。」と教えてくれました。

ももちゃん、健康だったんだね。
そりゃそうだ。だからこそ、こんなに長生きできたんだよね。

虹の橋での再会

ペットが亡くなると「虹の橋を渡った」と言う人がいますが、それは少し違います。

虹の橋を渡った先は天国ですが、実際の「虹の橋」とは、天国の手前にある橋のこと。そして、その橋のたもとには美しい草原が広がっていて、そこに別れの時を迎えたペットたちがいるのです。

しんちゃんも、レオン君も、今はその草原にいます。
そして、ももちゃんも四十九日を迎えたら、きっとそこへ向かうのでしょう。

でも、虹の橋を渡るのは何十年か先。
僕と和美さんもいつかその草原に向かうのですが、その橋のたもとでみんなで再会してからです。

そう、それが「虹の橋」の詩の解釈なのです。

つまり、ペットたちは、飼い主と再会できるのです。
永遠の別れではないのです。

「虹の橋」の詩は、しんちゃんやレオン君との別れの時、僕を支えてくれました。そして今、ももちゃんとの別れの時にも、この詩に助けてもらいたい。

だから、和訳をここに掲載しようと思います

第1部/「虹の橋」和訳

天国の入り口の少し手前に「虹の橋」と呼ばれる橋があります。

愛された動物達は、お別れが来ると この虹の橋に旅立ちます。

そこに行った動物たちは、広い草原や丘を走り回り、思い切り遊んでいます。

ぽかぽか降り注ぐ日差しの下で美味しいごはんを食べ、綺麗な水を飲んでいます。

あの子達は、暖かく気持ちのいい場所にいます。

病気だった動物も、寿命を全うした動物も、元気になり、活力にあふれています。

怪我をした動物も、不自由な体だった動物も、健康な体になり、生き生きしています。

私達の記憶と夢の中にある、あの元気だった頃のように。

あの子たちは、みな満足して安らいでいます。

でも、1つだけ足りないものがあります。

あの子たちにとって特別だったあの人、別れなければならなかったあの人がいないのです。

あの子たちは、今日も走り回って遊びます。

ある日、あの子は急に立ち止まり、目を凝らします。

キラキラ光る目が一点を見つめ、希望と喜びに体が震えます。

突然、弾かれたように走り出します。

緑の草原の上を飛ぶように走ります。

足が、もどかしく宙をかきます。

早く、早く…

あなたを見つけたのです。

あなたと、あなたの大切なあの子は、ついに再逢できたのです。

固く固く抱き合います。もう2度と離れません。

幸福のキスがあなたの顔に降り注ぎます。

あなたは優しく何度も体を撫でます。

頭を撫でながら、信頼にあふれた真っ直ぐな目を覗き込みます。

そう、お別れしても、決して忘れることのなかった目を。

そしてあなたは、虹の橋を渡り天国に向かいます。愛するあの子と一緒に。

虹の橋での再会

僕は死後の世界なんて信じていませんでした。 生き物が死ねば、等しく土に還るだけだと思っていました。

でも、猫たちとの辛い別れがきっかけで、この詩に出会いました。 天国の手前に虹の橋があり、そこでももちゃんたちが僕を待ってくれている。 そう信じられるようになったんです。

真実かどうかは関係ない。 僕が信じていれば、それが僕にとっての真実なのです。

だから、また会える。 ももちゃんとも、しんちゃんとも、レオン君とも。

そう思えば、悲しむ必要なんてない。 だって、また会えるんだから。

……そう思えるようになったのは、8年前、しんちゃんの時でした。

でも、永遠の別れではないとわかっていても、一時的にはお別れするんです。 そして、ももちゃんとはお別れしたばかり。 だから、まだ涙が止まりません。

しばらくは仕方ないですよね。 悲しんじゃいけないんだって、自分を追い込むのもよくないし。 だから、あまり無理はしないで、ランニングをするとか、弁当を作るとか。 少しずつ、気を紛らわせられることを再開していこうと思います。

そして、ももちゃんが虹の橋へ旅立つ日まで、心を込めて見送ろうと思います。

ももちゃん、本当にありがとうね。


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コメント

  1. 浅井えり より:

    ももちゃん、20歳まで大切に愛されて家族として暮らしてきたんですね。長生き。うちにも長生きな子いたけれど。霊界については詳しくないですが、必ずまた逢えるのは知っています。私は地域猫活動しているので謝らなければならない子とか結構いるので再開した時皆に謝らないと。助けて挙げられなかったりした子も多い。私のこと、猫について何も知識のない霊能者が私の周りに小さな光りの珠がたくさんついててその子達は今は幸せで私に礼を言いに現れたと言いました。あの子達は私を母親と思っていると。猫達と私の関係全く知らない霊能者に言われました。念ずれは即通じます。すべての子達の魂の浄化向上を祈っています。ももちゃん達に必ず逢えるけれどそれまでが寂しく辛い。そんな時は愛犬を送ってあげてください。

    • 中沢 康彦 より:

      コメントありがとうございます。
      虹の橋のたもとであの子たちと再会できると信じています。
      永遠の別れではないんだし。と思っていても、でも、今はまだ寂しくて仕方ないですね。
      20年もずっと一緒にいたのだから仕方ないですよね。
      時が解決してくれるのを待ちましょう。