日本史上、もっとも人を殺さずに天下を手に入れた男。
豊臣秀吉の天才的人心掌握を描く司馬遼太郎版『太閤記』。
備中高松城を水攻めのさなか本能寺の変を伝え聞いた秀吉は、“中国大返し”と語り伝えられる強行軍で京都にとって返し、明智光秀を討つ。柴田勝家、徳川家康ら、信長のあとを狙う重臣たちを、あるいは懐柔し、あるいは討ち滅ぼすその稀代の智略は、やがて日本全土の統一につながってゆく。
常に乱世の英雄を新しい視角から現代に再現させる司馬遼太郎の「国盗り物語」に続く戦国第二作。
本文より
ともあれ天下の堅城といわれた鳥取城は落ち、因幡(いなば)一国は平定した。この天正八年から九年にかけての時期は、織田家の家臣時代での秀吉の得意の絶頂ともいうべきときであったであろう。
――どうだ。
と、姫路城での夜食のときなど、小姓(こしょう)を相手に誇った。誇らざるをえない。この大いなる成功を、古今、何者が為しえたか。
「おれだけだ」
みなが閉口するほど、賑やかに自慢した。自分の業績をつつみかくせるほど、秀吉は陰気な謙譲家ではない。
「古の頼朝も義経も、みな貴種の出だ。うまれながらにして武門の棟梁(とうりょう)であった。おれをみよ。前身は尾張中村の草刈り童(わらべ)である。御当家にあっては御草履をとる小者から身をおこした。こういう男は、唐天竺にもいまい」(「高松城」)
司馬遼太郎(1923-1996)
大阪市生れ。大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960(昭和35)年、『梟の城』で直木賞受賞。以後、歴史小説を一新する話題作を続々と発表。1966年に『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞を受賞したのを始め、数々の賞を受賞。1993(平成5)年には文化勲章を受章。“司馬史観”とよばれる自在で明晰な歴史の見方が絶大な信頼をあつめるなか、1971年開始の『街道をゆく』などの連載半ばにして急逝。享年72。『司馬遼太郎全集』(全68巻)がある。
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司馬 遼太郎 (著)
感想
上巻はこちら
下巻は高松城水攻めの最中に本能寺の知らせを受けるところから。中国大返し明知との闘いの部分は細かい描写で迫力満点に書かれていて、この作品の一番の読みどころかな。
その後、清州会議、勝家との賤ヶ岳の戦い、家康との小牧・長久手の戦いを経て天下統一の足場を固めていくわけだけど。秀吉の心情の変わりようや戦略について、黒田官兵衛を引き合いに出してわかりやすく書いてくれています。
そしていよいよ家康の上洛となりますが。
そこでいきなり物語終了
えっここまでですか?
と思ったけれども。
九州平定や方丈攻め、奥羽平定までは書いてもいいんじゃないって思ったけど。
人を殺さない天下の覇者秀吉
というこの本で作り上げてきたキャラクターには、この後の鶴松、秀頼誕生後の秀次の事変や朝鮮出兵の話はなじまないでしょうし。
実質的に天下統一を成し遂げたと言える、徳川家康の上洛のところで幕を下ろすのもありなのかなって思いました。
また別の太閤記を読むか。
別の物語で読みたいと思います。