12月12日の夜のことです。
突然体調が悪くなり、救急車で搬送されてしまいました。人生で2度目の救急搬送です。1度目は交通事故の時でした。確かまだ20代の頃だったと思います。その時は事故の衝撃でわけも分からず、強制的に救急車に乗せられたのですが、今回は違います。自分の体調が悪化し、救急車を呼ぶ必要があると判断して、自ら119番をお願いしました。
結果として、原因は分からないままでしたが、病院での処置で症状は改善し、朝方になってしまったけど入院せずに帰宅することができて、その後自宅で療養しています。いまはいつも通りの体調にも土っていますが滅多にない非日常的な出来事でしたし、何かの記録になるかと思い、一応ブログ記事に残しておくことにしました。
そもそも、どんな状態になってしまったかというと…
12日の21時少し前くらいだったと思います。翌日の弁当の支度をして洗い物をしている最中、突然「あれ、なんかめまいがする」と感じました。それと同時に冷や汗が出てきて、なんとなく吐き気もしてきそうな感覚がありました。すぐに和美さんに伝えると、彼女が洗面器を持ってきてくれました。しかし、リビングで吐くのは嫌だったので、トイレに行こうと立ち上がった瞬間、頭がぐらぐらして、何とかトイレまでたどり着いたものの、便器の前で座り込んでしまい、それ以上立てなくなってしまいました。
全身の力が抜けていくのを感じながら、猛烈な吐き気に襲われました。最初にめまいを感じてからたった15分くらいのことです。その時から「これは尋常ではない」と思い始めましたが、最初に頭をよぎったのはやはり、「脳梗塞?」「心筋梗塞?」といった大きな病気の心配でした。そしてすぐに「救急車を呼んでほしい」と伝えました。
ただ、気持ちは分かります。救急車を呼ぶのって少し躊躇しますよね。和美さんも最初は119番でなく病院に電話して相談してくれていたようでした。病院側は「緊急で受け付けるので、早く来てください」と言ってくれたようですが、僕はすでに自分で歩いて病院に行ける状態ではありませんでした。吐き気が強烈すぎて、話すことも困難で、立ち上がる力も完全に失っていました。結局、「どうしても救急車を呼んでほしい」と懇願しました。
トイレに座り込んだまま吐きたいのに、胃の中には何も出るものがなく、苦しくて苦しくて。さらに、徐々に意識が遠のきそうな感覚もありました。でも、思考は意外としっかりしていたんだと思います。救急車を待ちながら、和美さんに「保険証と障碍者手帳が入ったポーチ」「お薬手帳の入った長財布」「着替えのシャツとパンツ」「トレーナーと上着」「靴」「履き物用のビニール袋」などを準備するよう伝えることができていました。
やがて遠くから救急車のサイレンの音が聞こえてきました。その時、「これで助かる」と心から思いました。普段はやかましいとしか思っていなかった救急車の音がこんなに嬉しいと思ったのは人生で初めてのことでした。
とにかく吐き気がおさまらず苦しくて苦しくて声を出すことがしんどくて、意識は朦朧としていたと思います。時間の感覚は曖昧になっていて、目を開けていられなくなっていました。
でも、耳から入ってくる情報は不思議と記憶に残っています。救急隊員の方々が家の中に入ってきたこともわかりました。
僕には名前と生年月日、病状や症状、持病、普段飲んでいる薬、アレルギーの有無などの質問がありました。和美さんにも同じような質問をしていたようです。また、過去の疾病についても聞かれたのですが、その中で「ポリープは?」という質問があったのは意外でした。ポリープがこのような状況に関係するのかは分かりませんが、今年の10月にポリープを摘出したことを伝えたら、その病院名を聞かれました。「徳洲会病院」と伝えると、「徳洲会に搬送しましょう」となったようです。
徳洲会病院は歩いても行ける距離なので、救急車ならほんの数分で到着するはずです。ただ、どれくらい乗っていたのか、その時間の感覚は全くありません。でも、到着したことや、ストレッチャーに載せ替えられたこと、運ばれながら意識を確認するために名前や生年月日、「ここはどこ?」「今日は何日?」といった質問をされたことは覚えています。
搬送中もいろいろ話しかけられたり、ライトで目を見られたりしていたような気がしますが、記憶に残っているのは体温が34度台だと救急隊員の方が話していた事です。普段の平熱は36.8度の僕ですから、2℃も体温が落ちてるの?やばいじゃんって思ったことです。
処置室での出来事
処置室に着き、ストレッチャーからベッドに移された途端、腕には血圧計が巻かれ、胸やお腹にペタペタと心電図の電極が貼られ、点滴の針を刺されました。すぐにピコーン、ピコーン、ピッピッピッという機械の音が聞こえてきました。その時、「おお、ドラマでよく見る救急救命の現場に自分がいるんだ」と実感しました。
僕は医療ドラマが好きでよく観るのですが、死ぬほど苦しいと思いながら、「いま、ここはチーム・バチスタ・ジェネラル・ルージュの凱旋の舞台、東城大学医学部付属病院の救命センターで、目の前にいるドクターは、西島秀俊さんが演じる速水先生だ、そんな想像をしていたんです――こうしてみると、意外に余裕があったのかもしれません。
とはいえ、強烈な吐き気は相変わらずで苦しみながらも、気を緩めると意識が遠のいていく感覚もあったんです。「死ぬときってこんな感じなのかな?」なんてことを考えたりもしました。でも、不思議と怖さはなく、むしろ、「虹の橋のたもとで、飼い猫のしんちゃんとレオンが待ってくれているな」なんて、少しほっこりするようなことを思い浮かべたりしていました。
「吐き気とめまいを抑える薬を入れたからね。すぐに楽になるよ」
速水先生(のような声)がそう言ってくれたのが聞こえ、その後すぐに意識が遠のいたようでした。途中、「CTを撮りに行きます」と言われ、再びストレッチャーに載せられた記憶はありますが、詳細は曖昧です。おそらくその間、しばらく眠ってしまったのでしょう。
どのくらい寝たのか、今は何時なのか、時間の感覚はまったくありませんでした。ただ、ふと目が覚めたときには、だいぶ長く眠ったような気がしました。耳に聞こえた話し声から先生とかずみさんがそこにいる事が分かりました。
吐き気は治まっていたものの、全身の脱力感が抜けず、目を開けてもまぶたに重りがついているようで、すぐに閉じてしまう感覚でした。
先生が話しかけてきて、「血液検査もCTも特に異常は見つからない」とのこと。ただ、念のため「MRIをやってみる?」と提案されました。MRIは費用が高いこともあり、確認のために尋ねてくれたのだと思います。しかし、かずみさんが僕の視力障害1級のことを伝え、医療証を持っていると説明すると、先生は「じゃあ、やりましょう」と決めてくれました。
医療証とは、岸和田市が障害者に提供している医療補助制度のことで、1回の通院でどれだけ高額な医療費がかかっても、自己負担は500円で済むというありがたい仕組みなのです。
その後、「少し体を起こしてみましょう」と先生が言い、上半身をゆっくり起こしてみたのですが、途端に激しいめまいと吐き気が襲ってきました。
これは以前からのことなのですが、僕の嗚咽の声はとにかく大きいんです。「おえ~」なんて文字では表現しきれません。全力で「うおぉ~~!」とか「ぐぉ~~!」と叫ぶような音が出てしまいます。きっと先生も驚いたことでしょう。
結局、しばらく横になって落ち着いてからMRIを撮りに行こう、ということになったようでした。
次に目が覚めたとき、かずみさんに後で聞いた話では、1時間くらい寝ていたそうです。先生が「そろそろ落ち着いたかな」と言いながら、ゆっくりと身体を起こしてくれました。後になって聞いたのですが、先生は三半規管のトラブルを疑っていたようです。そのため、頭を揺らさないよう細心の注意を払い、「返事も頷かなくていいから」と声をかけながら、診察台の上に座らせてくれました。
目が覚める前からだったのか、その直後からだったのか、とにかく寒くて体がガタガタ震え始めました。それまで、家のトイレで倒れ込んだときも、救急車で搬送されたときも、ずっと半袖シャツ1枚で過ごしていましたが、寒さを感じることはありませんでした。それなのに急に寒さが襲ってきたのです。
かずみさんに「寒い」と訴えると、ベッドがびっしょり濡れるほど汗をかいているとのこと。頭を揺らさないように注意しながら、汗で濡れたTシャツを着替えさせてもらい、トレーナーを着せてもらいました。
その後、ゆっくりとストレッチャーに移され、MRI検査室へ向かいました。先生も僕も、まためまいや吐き気が襲ってくるのではないかと心配していましたが、今回は大丈夫でした。
それにしても、MRIのガガガガという機械音は本当にうるさいですね。でも、検査前に「20分くらいかかる」と言われていましたが、実際にはあっという間に終わったような気がします。もしかすると、あの騒音の中で寝てしまっていたのかもしれません。
MRI検査が終わり、またストレッチャーに移されて処置室へ戻りました。戻る途中も、寒さがひどくて震えが止まりませんでした。後から考えると、それまで寒さを感じることすらできないほど体調が悪かったのが、少し改善し始めたから寒さを感じるようになったのではないかと思います。
処置室に戻ると、震える僕を見た看護師さんが毛布を多めにかけてくれました。かずみさんは自分の上着を僕に掛けてくれていました。本当にありがとう。
その後、また眠りに落ちたようです。次に目が覚めたのは、MRIの結果が出たことを先生が知らせに来てくれたときでした。結果を簡潔に言うと、MRIでも特に問題は見つからなかったとのことでした。
その頃には、かなり体調も回復していて、脱力感も改善し始めていて、自分で起き上がることができました。立ち上がることもでき、少しふらつく感じは残っていましたが、めまいや吐き気は消えていました。
血液検査、CT、MRIといった検査でも原因が特定できなかったため、先生は「脳梗塞や心筋梗塞などの重大な疾患ではないだろう」との見解を示してくれました。そのうえで、もしかすると良性発作性頭位めまい症ではないかと説明されました。この病気は、内耳の耳石が剥がれて三半規管に入り込むことで、平衡感覚をつかさどる機能が一時的に低下し、めまいが生じるのだそうです。
命にかかわるようなことではないと先生が言ってくれたことでほっとはしましたが。ただ、少し引っかかるのは、三半規管のトラブルによってめまいや冷や汗、吐き気が起こるのは理解できるものの、今回のように脱力して立ち上がれなくなったり、意識が遠のくような症状も本当にそれだけで説明がつくのか、ということです。先生の説明に完全に納得できたわけではありませんが、これ以上は仕方がないのかもしれません。
先生からは「まためまいが起こったら耳鼻科を受診するように」と言われました。でも、それも少し疑問が残ります。今回のように救急車を呼ぶ事態になった場合、耳鼻科に行ってくれというのもいかがなものかと。
ただ、あとになって自分で良性発作性頭位めまい症について調べてみると、どうやら耳石の「ゴミ」が三半規管から抜けると症状が改善するということらしく、ほとんどの場合、数日から数週間で自然に治ってしまうことが多いそうです。つまり、しばらくは様子を見ながら、再発しないことを祈るしかないという結論に至りました。
ということで、先生から「歩けるようなら入院せずに帰宅しても大丈夫」と言われました。一瞬、タクシーで帰る途中に吐き気が再発したら大変だし、入院して様子を見たほうがいいのではとも考えましたが、家に帰ってネコの顔が見たい気持ちが勝ち、帰宅することに決めました。
かずみさんに会計を任せ、自分はトイレに行こうと思ったのですが、一人で行っちゃダメと先生に止められました。なんと先生が付き添ってくれて、車いすでトイレまで連れて行ってくれたんです。
救急救命センターって、本当に忙しいんですよね。ドラマなどでも必ずと言っていいほどブラック企業並みに過酷な職場として描かれますが、実際もそうなのだと思います。あとでかずみさんに聞いたところ、僕が診察を受けていた同じタイミングで、救急車が4台も到着していたそうです。
そんな忙しい中で、一生懸命に処置をしてくれ、さらにはトイレまで付き添ってくれた先生や看護師さんに、心から感謝しています。また、病院まで搬送してくれた救急隊員の皆さんにも、医療費の補助をしてくれている岸和田市にも本当に感謝です。
そして、時計を見たらもう深夜3時を過ぎていました。それでもずっとそばにいてくれたかずみさん、本当にありがとう。心から感謝しています。
その後、タクシーを呼んで帰宅し、家に着いたのはもう4時を過ぎていました。
ここまでが、12日(木)の深夜に起きた出来事を思い出して書いたものです。
12月は、たまった疲れを完全に抜こうと思い、月初から一度もランニングをしていませんでした。そろそろ再開しようと思っていた矢先に、こんなことになってしまったわけです。
この記事を書いているのは、16日の月曜日。あれから3日が経ちました。今はネコと遊びながら静養を続けています。処方されためまい予防や吐き気予防の薬も、今日で飲み終わります。
今一番気になっているのは、「いつからランニングを再開すればいいのだろう?」ということです。体調は完全に元に戻っていますし、弁当作りも今朝から再開しました。このあと、弁当日記も書く予定です。
ランニングをいきなり再開するのではなく、まずは買い物がてら散歩でもしてみようかな。そんな風に思っています。
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